屋外

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インディアン⽔⾞Indian fishwheel

インディアン⽔⾞

年間およそ20万尾のサケを捕獲するこの捕⿂⾞は、さけ‧ます⼈⼯ふ化放流事業に⽤いるサケの親⿂を捕獲するため、秋の⼀時期だけ設置されます。捕⿂⾞を管理しているのは、⼀般社団法⼈⽇本海さけ‧ます増殖事業協会。
捕⿂⾞での作業は、あくまで増殖事業のためであり観光のためではありませんので、ご⾒学とタイミングが合わない場合があることもご了承ください。
とはいえ、今やシーズンともなれば千歳市⺠をはじめ、多くの⼈々が毎⽇のように⾒学に訪れる、千歳川の秋の⾵物詩としてすっかりお馴染みになっています。
⽔⾞の設置は例年7⽉中旬、採卵⽤親⿂の捕獲開始は8⽉20⽇頃です。捕獲終了は12⽉上旬頃となります。
設置時期、捕獲期間は年によって変わりますので、ご確認ください。ちなみに、2024年は7⽉21⽇に⽔⾞が設置され、撤去は12⽉6⽇でした。

インディアン⽔⾞
インディアン⽔⾞
インディアン⽔⾞
インディアン⽔⾞
インディアン⽔⾞
インディアン⽔⾞

千歳川を⾒下ろすカメラです。
秋にはインディアン⽔⾞もご覧いただけます。

千歳川の⾵景

⾒どころ

サケが次々と⽔⾞にかかるところをご覧になりたいのは、どなたも同じかと思いますが、これがなかなか思うようになりません。捕⿂⾞は⽔⼒で24時間回り続け、産卵のため遡上しようとするサケが、カゴ状になった⽻の部分に勝⼿に⾶び込み捕獲される仕組みになっています。つまり、捕れるかどうかはサケ次第ということになります。
サケの⼤群が遡上する確率が⾼いのは⼤⾬の後などで、多ければ1⽇に1万匹以上捕獲されることもあります。そのタイミングであれば時間を問わず、サケがどんどん⽔⾞にかかる様⼦をご覧いただけます。台⾵通過の翌⽇などは特に狙い⽬です。
また捕れたサケを⽣け簀から取り出し、雌雄選別してトラックに積み込む作業もなかなかの迫⼒です。こちらのタイミングについては、“千歳川のサケに関するQ&A”の“Q12”をご覧ください。

捕⿂⾞の仕組み

捕⿂⾞の仕組み
捕⿂⾞の仕組み
⿂取り ⾦網を張ったカゴになっていて、川の流れに従って1分間におよそ4〜5回転し、遡上(そじょう)してきたサケをすくいあげます。
現在は、⾦網の部分に、ステンレスを使⽤しています。
⿂落とし ⿂取りにすくいあげられたサケは、⽔⾞の回転に従って上部へ運ばれ、⿂落としへ落下します。すると、⿂落としがすべり台の役⽬をして、サケが捕⿂⾞から⽣簀(いけす)に落ちます。
この⿂とりと⿂落としの⼀連の動きにより、連続的にサケを捕獲します。
刎板(フンバン) 現在の捕⿂⾞には付いていませんが、以前は12⽉を過ぎてもサケを捕獲していたため、⾞軸が凍り付き動かなくなってしまうことがありました。
そこで刎板に箱を取り付け、回転によって絶えず⾞軸などに⽔が注がれるようにし、凍結を防いだのです。
この箱のことを⽔箱と呼びます。
⽔箱 川の流れを効率よく受けて、⽔⾞の回転をより早くするため、⿂取りの左右に取り付けられた板です。

他の河川では使えない?

⽇本において捕⿂⾞によるサケの捕獲は、北海道では豊浦町‧貫気別川や、標津町‧標津川などでも⾏われています。どちらも「インディアン⽔⾞」と呼ばれ、サケの遡上時期には好評を博しているようです。
しかし、これらは⽔⾞といっても電動モーターを動⼒としています。純粋に⽔⼒だけで回転するのは、千歳川と⻘森県おいらせ町‧奥⼊瀬川の2ヶ所のみとなっています。
⽔⾞が使⽤できる川は、⽔量の安定が不可⽋です。⽔⾞が回らなくなってしまう渇⽔や、サケが柵を越えて遡上してしまうような増⽔がたびたび起きるのでは、効率の良い捕獲はできません。
千歳川は上流部に⽀笏湖があり、さらにそこから5つの発電⽤ダムがあることによって、⽔量がほぼ安定しているので、この漁獲⽅法が使えるのです。
ただあまりにも遡上数が多かった⽇(1⽇に3万尾以上!)は、その重みで⽔⾞が回らなくなってしまったため、⼈⼒で回したこともあります。

歴史

インディアン⽔⾞設置の歴史

「インディアン⽔⾞」は、のちに北海道庁初代⽔産課⻑となった「伊藤⼀隆(いとうかずたか)」が明治19(1886)年、⽔産事情調査のためにアメリカに渡った際、⻄海岸のコロンビア川で実⾒し、⽇本に紹介したのが始まりです。
明治20年に帰国した伊藤は、⾃ら千歳川の調査を始め、古くからサケの天然産卵場として知られていた千歳郡烏柵舞村(うさくまいむら)字ルエン(現在の⽔産資源研究所 千歳さけます事業所の辺り)を、ふ化場建設の地に選定しました。そして1888年、千歳川でサケのふ化事業が始まったのです。
しかし、当初から親サケの捕獲に捕⿂⾞が使われていたわけではありません。千歳川で初めて捕⿂⾞が使⽤されたのは明治29年(1896年)11⽉。ルエンにあった採卵場を10kmほど下流の千歳駅逓所(とんしょ;現在の千歳橋上流)に移転した際に導⼊されました。
明治30年には現在の根志越に移動し、様々な改良が重ねられて現在の姿になりました。そして平成6年、千歳サケのふるさと館オープンにあわせ、今の場所(千歳市花園)に設置されたのです。

伊藤 ⼀隆

伊藤 ⼀隆

初期の捕⿂⾞

初期の捕⿂⾞

根志越にあった頃のインディアン⽔⾞

根志越にあった頃のインディアン⽔⾞
(1990年10⽉撮影)

「インディアン⽔⾞」の名の由来

伊藤⼀隆が⽇本にこの漁法を紹介したとき、⽔⾞は「捕⿂⾞」と呼ばれていました。「インディアン⽔⾞」という呼び名が⼀般化したのは昭和46年(1971年)頃からのようです(鮭の⽂化誌(1982年)∕北海道新聞社)。
しかし北アメリカにおける捕⿂⾞の発達を調べてみると、その起源は少なくとも原住⺠族ではなかった(千歳川の捕⿂⾞の発達に関する若⼲の考察(1992年)/ ⼭⽥健 / 北海道開拓記念館調査報告 第31号)ことがわかってきました。
またコロンビア川でサケ漁に従事したのは、フィンランド、ノルウェー、デンマークなどの北欧から移住者およびその⼦孫だったようで、どうも原住⺠族がこの捕⿂⾞を使っていたかのような「インディアン⽔⾞」という呼称は、その歴史について誤解を招きかねないもののようです。
こうした背景をふまえ、現在はその名前の由来を「インディアン地区があるコロンビア川で使っていたものであったということから付けられた」と解説し、なるべく「捕⿂⾞」という名も紹介するようにしています。

捕獲数の推移

1888年から千歳川で始まったふ化事業ですが技術や経済的な事情から、ふ化事業の努⼒にもかかわらず⽇本のサケは200〜500万匹を守るのがせいぜいでした。そうした低迷期が、ふ化場が誕⽣してからおよそ80年も続きます。
ところが1970年を過ぎてから、回帰するサケの数がどんどん増えだしたのです。これには研究の結果による数々の技術の転換があったのですが、それは「発明」などという全く別なものではなく、「⾃然の仕組みを⾒極める」ことにほかなりませんでした。
それからは5年で2倍づつの勢いで増え、1990年代半ばには北海道だけでも6,000万匹、⽇本全体では9千万匹に届くかという勢いで、以前は1.0%以下だった回帰率(サケが戻ってくる割合)※も、4〜5%にまで上昇しました。しかし、その後サケ資源は徐々に減少に転じ、近年(2020年頃)には全国で2千万〜3千万匹程度となってしまいました。減少の原因を解明し、できるだけ早いサケ資源の復活が望まれています。
※ここでいう回帰率は「沿岸回帰率」のことを指しています。つまり、⼈間の定置網によって沿岸で捕獲されたサケも含まれている数字なのです。網をかいくぐり実際に⽣まれた川まで戻っていけるのは、沿岸に戻ってきたサケの更に10分の1程度だといわれています。

インディアン⽔⾞のサケ捕獲状況

道の駅サーモンパーク千歳Salmon Park Chitose

道の駅サーモンパーク千歳

“We Love サーモン 千歳にcome on!”をキャッチコピーにした、主にサケづくしの“食”や“お買い物”が楽しめる施設です。北海道の食材を中心としてバラエティーに富んだお食事を提供する7つの店舗と、地元食材や多彩な品揃えを誇る広いショップで、千歳水族館とともに「サケ・サーモン」の魅力を「食べる」、「見る」、「体験する」と余すところなく日本、そして世界へと発信していきます。

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